GOING STEADY(以下:ゴイステ)が解散してからアタシの世界はとても静かになった。
もう彼らの新曲が聴けないという悲しみと、ゴイステの結成から解散までの7年という時間が、アタシ自身を大人にさせた。
高校生の頃、ただただ「峯田和伸」という人間になりたかった。
「全身の表現者」と呼ぶにふさわしいポテンシャルと、ライブパフォーマンスは小さな携帯電話の画面から伝わるほどに圧巻だった。
【関連記事】GOING STEADYの歌詞を考察。【峯田和伸という伝説】
銀杏BOYZというバンドを知ったのは、しばらく経ってからだった。銀杏BOYZはメディアへの露出が少なく、ゴイステばかりを聴き回していたアタシには銀杏BOYZというバンドの情報が入ってこなかった。
初めて聴いた銀杏BOYZの曲は「漂流教室」だった。当時、折りたたみの携帯電話が主流だった頃に、友達が着メロにしていたのを聴き逃さなかった。イントロしか聴けなかったその曲を、好きになる確信がアタシにはあった。
絶対に聴くべきおすすめ曲
駆け抜けて性春
駆け抜けて性春
銀杏BOYZ
ロック
¥150
初めにこの曲は恐ろしいほど荒削りだ。ボーカルはしゃがれていて、音も飛び飛び。ギターの歪みも上品とは言えない。
その荒々しさの中で中盤、JUDY AND MARYのYUKIの声が響く。
「青春」は時に残酷だ。「駆け抜けて性春」では「青春」という言葉が本来持つ意味を見事に曲として表現している。フランスの哲学者:サルトルが語る「青春」を引用すると、銀杏BOYZが歌う「駆け抜けて性春」とは”青春の渦中にいる間は世界はいつも通り残酷なのだ”というメッセージ性が伝わる。
青春とは、奇妙なものだ。 外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ。
ジャン=ポール・サルトル
しかし、青春には「恋」というニュアンスも含んでいる。残酷だが、恋という美しいものがあることを知っている、というテーマだとすると、YUKIの澄んだ声すらも必然性がある。
峯田のシャウトと、YUKIの美声、そのアンバランスこそが「駆け抜けて性春」のメッセージ性だという答えに行き着く。
夢で逢えたら
夢で逢えたら
銀杏BOYZ
ロック
¥150
恋愛に飢える少年の曲だ。
君の胸にキスをしたら 君はどんな声出すだろう
出典:銀杏BOYZ 【夢で逢えたら】
なんともモテない男子が妄想しがちな濡れ場だ。しかし、その妄想も虚しさとともにティッシュの中へと消えさる。そして本当の恋を見つめ直すのだ。しかし、妄想は叶わないと自分自身が誰よりもわかっている。だから「夢で逢えたら」なのだ。
夢で逢えるだけでいい。それだけで心は満たされる。どうか逢いに来てくれないか、という懇願にも似た表現が歌詞に現れている。
夢で逢えたらいいな 君の笑顔にときめいて
出典:銀杏BOYZ 【夢で逢えたら】
漂流教室
漂流教室
銀杏BOYZ
ロック
¥150
これは友との別れの曲だ。
「告別式では泣かなかったんだ」という歌詞から推察するに、友が亡くなった歌だ。
あいつはギターを弾いて 君と僕は手を叩いたりして 歌ったのさ
出典:銀杏BOYZ 【漂流教室】
こういった日常が確かにあったのだということを思い出す。そして、もうこの世にはいないその友を「友達だったのだ」と再認識する。
このまま僕らは大人になれないまま しがみついて忘れないんだ
出典:銀杏BOYZ 【漂流教室】
友はもう大人になることもできない。そして自分も「大人」という小さい頃に思い描いていた大きな存在にはなれそうもない。
最後に「一生の友達なのさ」と締めくくる。亡くなって初めてその友達の存在の価値を知るのだ。それが「僕」が大人になれない理由のひとつで、今ある大切なものを大切だと認識できない存在を「子供」として峯田和伸は表現しているのだ。
二十九、三十
二十九、三十
銀杏BOYZ
ロック
¥200
クリープハイプのカバー曲であるが、音楽を聴いて久しぶりに鳥肌がたった曲だ。別の記事として【二十九、三十】の魅力を綴ったので興味がある方はぜひ!
【関連記事】銀杏BOYZのカバー名曲【二十九、三十】平成が残した名曲
ゴイステからの変化とは
ゴイステからの変化は曲にもしっかりと感じられる。
ゴイステは音の完成度や、曲の構成など「型」にハマった優等生な曲が多い。しかし、銀杏BOYZでは音がクリッピング(注訳:録音時に音量が大きくて音が割れてしまうこと)も気にせず、出したい音を素直に出している印象がある。
ここに彼らのバンドとしての変化が現れている。
まだまだ現在進行形の銀杏BOYZは、「ぽあだむ」や「恋は永遠」など名曲となるべくして生まれた曲を書き続けている。これからの新譜で世界をどう表現するかに期待大だ。
まとめ
銀杏BOYZはメディアに出るアーティストと比べれば下品だ。ライブでの全裸騒動や暴れ具合なども敬遠するひともいる。
しかし、それは峯田和伸という「少年」の目線を持っているからこそできる所業であるとも言える。それが彼らの魅力であり、強さだ。だからアタシたちは銀杏BOYZの新譜を待ちわびてしまう。
漂流教室の歌詞にある「このまま僕らは大人になれないまま」の本当の意味とは、大人になれないのではなく、峯田和伸は大人にならなかったのだ。それが自分が自分らしく生きていくための手段だったのだ。