ICOというゲームの感想と思うこと。【手を繋ぐという行為について】

ICO(イコ)というゲームにとても入れ込んでいた時期があるのね。

今思うと、なにがそんなに面白かったのか分からないけれど、とにかく一日中画面に食いついていた。

【ICO】というゲームは「囚われた女の子」の手を繋いで、ストーリーを進めるゲームなのね。

そこに、大きな魅力を感じて、「手を繋ぐ」という行為に「ときめき」を感じていたからこそ、コントローラーを握りしめていたのかな、と思うのね。

ICOの魅力と、手を繋ぐという行為についての魅力を紹介したい。

説明するね。

 

【ICO】とは

ストーリー

主人公の少年はイコ。

生まれつきツノを持つイコは、村のしきたいりに従って生贄として「霧の城」というボロボロの城へ閉じ込められる。

そして、ヨルダという女の子に出会うのね。

ヨルダとは言葉は通じないんだけど、変な黒い影に追い回されるもんだから、イコはヨルダとその城を脱出しようとするの。

その変な影を倒しながら、城の謎を仕掛けをかいくぐり、あと少しで脱出というところで…。

というストーリー。

 

【ICO】の魅力

ICOの魅力は、その世界観。

そして、キャッチコピーが秀逸なのね。

「この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから」

CM

 

 

CMも遊び心があって、とっても心を掴まれた。

 

「新しいものを作ろう」とする生き様が見えた

こんな「良いもの」が売れないわけがない、売ってみせる、というソニーの生き様が見えた気がしたのね。

確かに広告は凄まじかった。それでも購入者の心を掴む「宣伝」は的外れじゃなかったのね。

制作側の「本気」が見えた、気がした。

 

「手を繋ぐ」ということ

手を繋ぐことは、物理的な距離を縮めることだよね。

誰彼構わず、手を繋ぐ人もいるけれど、アタシたちはそうじゃない。

「好き」とは違う、「触れていたい」という気持ちが「手を繋ぐ」行為に繋がるんじゃないかな。

手を繋ぐと、相手の掌の温度が直に伝わる。

それが、相手と手を繋いでいる、それを感じられる自分がいる、という証明になるんじゃないかな。

 

なぜ手を繋ぐのか

「手を繋ぐ」という行為は、自分という存在を確かめる方法なんじゃないかな。

相手の温度を感じられる「自分」がいる、という存在証明になるのね。

相手が居て、初めて「自分」という存在を証明できるという「相対的に自分という存在の証明」をする行為なんじゃないかな。

ICOのゲームのなかでも、ただっぴろい城の中で自分という存在があるのか確かめたい、という気持ちから、イコはヨルダと手を繋いでいたのかもしれないね。

 

【ICO】と哲学

ICOというゲームを進めていくと、自分という存在を再認識することがあるのね。

「アタシ」は「イコ」だ、と思う瞬間が何度もあった。

それは、他の人とは違う特別な「ツノの生えた生贄」だったから。

アタシもまた、他の誰かと同じではない外見や、心をもっている。

あなたもアタシと同じく、他の人とは違う外見と、心で世界に存在している。

【ICO】は「自分」を代弁してくれる物語だと思うの。