【不安の原因】「漠然とした不安」を抱える人が少しだけ楽になる生き方

ここ数年、毎日を消費するのが辛すぎて、なんのために頑張っているのかもわからない状態が続いてた。

朝、期待に胸を躍らせて起きて、夜、満ち足りて布団にもぐっていた幼少の頃のアタシを探してる。

何が原因かわからないけれど、日々を消化することに大きな不安が付きまとい、うまく歩けないのね。

「漠然とした不安」という言葉に反応する人は、「目的をもって生きている」ことが、生きづらさの原因かも。

アタシが、少しだけ生きることが楽になった考え方を紹介するね。

 

説明するね。

 

生きる目的

今歩いている道は正しい道か

アタシたちは幼少の頃から、「どう生きるか」について、大人たちに「版画の墨ばり」に刷り込まれてきた。

とってつけたような解答を作文に書かせたりする。あなたたちは、小学生の卒業文集に何を書いたかな。

「プロ野球選手になりたい」「歌手になりたい」「漫画家になりたい」

あの頃に思い描いていた「20歳のアタシ」はとても大きい存在で、何にでもなれるし、何かを成し遂げられると思ってた。

でも、いつの日か「プロ野球選手」にはなれないし、「歌手」になることなんて不可能、と自分自身の限界を知る。

今のあなたは、あの頃の欲しかったあなただろうか。自問自答して膝を抱えてしまう人もいるよね。

でも、それは本当に必要な「あなた」だったのかな。

「どう生きるかを考えなければならない」という大人が敷いたレールを歩くことは本当に正解なのかな

「大人が敷いたレール」=「目的を持って生きる」が、あなたを苦しめているって考えたことあるかな。

 

あなたが、あなたじゃ無くなるとき【アイデンティティーの崩壊】

例えば、歌手がいたとする。

その歌手はすごく歌が上手くてそれを自身のアイデンティティーとして生きている。

その歌手がもし、歌えなくなったとしたら彼の人生は文字通り「終わり」なのね。

彼にとっての「生きる目的」は「歌」だから。

 

「目的を持って生きる」辛さ

「目的を持って生きる」という生き方は、生き方をとても狭いものにしてしまう。

この生き方では、歌えない自分は「ダメ」という方程式が成り立ってしまい、アイデンティティーの崩壊が生じるのね。彼は歌を歌えなくても「ダメ」ではない。

ただ、歩くレールを間違っていただけなのだ。

アタシたちは、生きることに目的を探しがちだよね。

それは幼少の頃から刷り込まれてきた「生きる目的を探さなければならない」という生き方に囚われているからなのね。

 

生き方を見つめる

「生きる意味を探さなくてもいい」という生き方が、楽に生きていくための手段なのね。

人はそれぞれ自身の生き方を持っている。

それは死後の世界に陶酔することかもしれないし(宗教など)、目的を持って生きる生き方かもしれないし、「目的を持たずに生きる」のもそのひとつだ。

「今までどう生きてきたか」を見つめ直すと、「生きづらさの原因」が隠れているかもしれないよ。

 

毎日をどう生きるか

嬉しい、悲しい、ムカつく、楽しい、怖い、様々な感情を感じながら生きていく、これだけでいいのね。

ネガティブな感情を抑え込もうとしちゃいけないよ。

素直に感じて、素直に表現すればいいの。先を見越して不安になる必要なんてなくて、「今」の感情を見つめてあげる。

でも、そんな簡単に思考は変わらないよ。アタシも変化の最中にいる。

でも、前ほどの「生きづらさ」を感じない。「漠然とした不安」に苛まれる夜も少なくなった。

将来が不安で夜眠れなくなるそれも「目的を持って生きていく」ことの弊害なのね。

これができなくなったら「ダメ」という思い込みが、その不安を連れてくる。

 

「今」を生きる

今、目の前にある課題やあなた自身の欲求に従うことが「今を生きる」ということね。

集中しようとしても、あれこれ不安や思想はぐるぐると頭を駆け巡るけど、それは一旦置いておこう。

「いやいや、置いておけないくらい大荷物なんです!」というのなら、背負ったままでも良い。

ただただ、目の前の事柄に集中するの。

 

「未来」を見ると「今」が見えない

「目的を持った生き方」は、自分自身の生きていく方角のベクトルが「未来」へと向いているのね。

この「未来」を見据えることが、今の苦しみを生み出しているって考えたことあるかな。

苦しい状況も「未来」にはきっと、ベルリンの壁のように綺麗さっぱり崩壊していると、「未来」を見据えているんじゃないかな。

「未来」の自分を見据えることが、「今」の自分を歩けなくしているのね。

「今」に集中すると「不安」という雑音が少し小さくなることに気付くんじゃないかな。

 

不安の原因「こうあるべき」の副作用

「未来」はこうあるべき、「だから」アタシは「今」こういう生き方をしなくては「いけない」。

こういう考え方はしてはいけないと、これをすべき、あれはしてはいけない…。

こういう目的があるから、今不安になってはいけない、病気になってはいけない、絵を描けなくなってはいけないし、歌を歌えなくなってはいけない、のようにね。

この「不安」ってやつは、「目的を持った生き方」の副作用みたいなものなのね。

例えば、鎮痛剤を飲んで痛みはなくなるけど、吐き気がひどくなるってなると違う薬を試すよね。

それと同じで、体質に合わないんだったら、やめたらいいの。

生き方だって「目的を持った生き方」だけじゃない。

「目的を持たずに楽しいって思える直感に従って生きる」生き方だって、一つの生き方だって自分を安心させてあげてほしい。

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