タイトルは大げさだよね。でもあながち間違ってもいないのね。
よく行く本屋でビジネス書を立ち読みしていると「過去を振り返るな、今ここだけを見て生きろ!」なんて、もはや誰の言葉かもわからない言葉を流し見て「またか…。」とゲンナリするんだよね。
アタシの過去はとても見て見ぬ振りできるような、ふところに隠しきれるカワイイものじゃないんだ、とほほ。
うなだれながら、その本屋を後にすることがよくある。
記憶ってやつは曖昧なのよ
昨日食べた夕食ですら、頭をひねらなければ思い出せない。たしか・・・そうだ!スパゲッティだった、みたいにね。
記憶の曖昧さは、恋人との会話でも顔を覗かせる。



バタン!!と、扉は固く閉ざされる。
本当はどちらの記憶が正しかったのかなんて、そんなことは重要じゃないのね。
いい記憶、わるい記憶
記憶は曖昧。
でも、嫌な記憶というものは、どんなに幼少の頃のものでも鮮明に覚えている。
そしてその忘れたい記憶をふと思い出してしまって「この記憶があるうちは、アタシには明るい未来はないのかもしれない」と膝を抱えてしまう。
【楽しかった体験がいい記憶、辛かった体験が悪い記憶】
本当にそうなのかな、と思うのね。
考えたくないものほど考えてしまう現象【リバウンド効果】
忘れよう、忘れようとすればするほどに、嫌な記憶は大きくなり、とうとうひとりでは抱えきれず、ぐしゃりと下敷きになってしまうことがある。
たとえば「今から青い猫のことを考えちゃいけないよ!」とアタシが言ったとするよね。
すると、どうしたってドラえもんが頭の中をぐるぐる走り回っちゃうよね。
これが【リバウンド効果】ね。
思い出したくない過去であればあるほどに、そのことを考えるな!と念じ続け、結果そのことばかり考えてしまうという悲しい現実。
人間はありもしない記憶を作り出す
あるテレビ番組で「ありもしない思い出を、勝手に作り上げてしまおう」という実験があったのね。
被験者に「幼少の頃に迷子になったことがある」という嘘をついて、ありもしない過去をできる限り鮮明に思い出してもらうっていう実験ね。
結果は…3人中3人とも、迷子になった記憶を作り出していたのね。
驚いたことにある人は「細身のスカートを履いたおばあさんが、心配して声をかけてくれた」という詳細な記憶まで作り出してしまっていた。
アタシたちが「過去にあったこと」として記憶している「それ」は、誰かの手で簡単に作り出してしまえるほどに曖昧なものなのよ。
そして、嫌な記憶を自分が作り出していないってどうしたら断言できるんだろう。
過去の記憶は感情に左右される?
気分が落ち込んでいることに、ネガティブな記憶ばかり考えてしまうことがある。ネガティブな感情のときには、それに馴染むように嫌な記憶を引き出してしまうことが心理実験で証明されている。
つまり、気持ちが落ち込んでいるときに過去を思い出すと逆効果ということだ。記憶は感情に左右されるため、ポジティブな気持ちの時に過去を思い出すと前向きに記憶を捉えることができるが、ネガティブな気持ちのときに過去を振り返ると記憶は牙をむくことがある。
誰でも「なんであんなことに悩んでいたんだろう」と思うことがあるだろうが、これはそういうカラクリだ。
嫌な記憶を消す方法
過去を変えることはできないが、過去の嫌な記憶を嫌でないものにはできるのね。
その方法が「記憶の意味づけ」。
記憶を消すことはできないが、意味はいくらでも変えられる。
例として
- いじめがあった「せい」ではなく、「おかげ」と変換すると、いじめがあった「おかげで」ひとの痛みがわかる人間になれた、幸せという言葉の意味を再確認できた。
- 学校を中退して、ほとんどの人が歩くべきレールを外れてしまったけど、回り道した「おかげで」大切な友人ができた。
- 仕事で失敗をした「おかげで」次へのステップに慎重に取り組むことができた。
などなど。考え方次第で嫌な記憶はどんどん新しい記憶へと塗りかえられていく。
他人を許すことには時間がかかるかもしれない、それは自分を許すことも同じだと思っているのね。
過去を振り返ることで苦しんでしまうということは、これから正しい生き方をしようとしている証拠でもあると思うの。
あなた自身のために、もう一度過去を見つめ直してみてはどうかな。