電車の良さとは何かと考えた。
反対座席から眺める風景は窓という額縁に映された絵画か。
それともその風景は、刹那散りゆく桜のように、過ぎ去りし時を思い起こさせる恋なのかもしれない。
停車した駅に貨物列車が停まっており、そこにトンボが一匹羽根を休めている。それを眺めながらそんなことを思った。
老夫婦が隣り合わせに座っており、ガランとした車内にも関わらずピタと引っ付いている光景にも、優しい日常が垣間見える。
先程見送ったと思っていた山が、まだ近くにあるのに驚き、自然の中に生きる自身の小ささを思ったりした。
程よい雑音、ブログのネタを練るのには集中しやすい。
誰かを感じながら、その空間にいるというのは少し苦痛だ。
電車という環境においても、それは言える。
隣の人の息遣い、服の擦れる音、くしゃみ。
みんなその環境を自分だけのものにしたくて、イヤホンで音楽を聴くし、読みたくもない小説を読む。
それとも、時間を持て余して焦っているのかもしれない。
ガタンゴトン揺られているだけではもったいない。なにかしなければ、というように。
揺られてればいいのに。
時間持て余したっていいじゃん。
だから電車でぼーっと窓を見ている私は、「なんだこいつ」という目で見られるのだろう。
みんなと同じように、電車という環境を鬱陶しがれよ、と。なにかしなければと焦ろよ、と。
いつかみんな死ぬのに、何を焦って、誰に媚を売っているんだろう。
ゆっくり歳をとっていきたいと思った、今日だった。