根暗(ネクラ)と根明(ネアカ)の違い。リア充、非リア充のことではない?

ネクラとネアカという言葉を聞いたことがあるだろうか。

Wikipediaではこう定義されている。

ネクラ・ネアカという言葉も広まるにつれて「内向的か・社交的か」という意味が強調されるようになった。内向的であればネクラ、外交的であればネアカと表現する。

出典元:Wikipedia

ネアカとネクラはどんな人?

根暗(ネクラ)

暗い、ネガティブ、内向的、コミュ力が低い、非リア充 etc.

根明(ネアカ)

明るい、ポジティブ、社交的、コミュ力が高い、リア充などと似通った意味で使われていることが多い。

最近では自虐的に「ネクラだからさー、コミュ力低いんだよね」など自分を卑下する場面などに使用されているように感じる。「リア充爆発しろ」も「ネアカに対する嫉妬」のニュアンスが含まれているように思う。

根暗(ネクラ)は自分?

ネクラなアタシたち

こうなると、大多数の人が根暗になってしまうのではないだろうか。うじうじと悩むのは「ネクラ」だからで、初対面の人と話しが続かないのも「ネクラ」だからとなってしまう。これまでの意味合いでの「ネアカ」「ネクラ」だとするならば、日々内省を繰り返すアタシたちは「根っからに暗い」人間へとなってしまう。

根明(ネアカ)は存在する?

ネアカな人とは?

「根が明るい」という「ネ」とは「根っから」という意味であり、そうなると根源的な性格が「明るい」という意味になる。明るいという言葉には、ネガティブな言葉が入り込む余地がないほどの強さを持っている。あなたの周りにもいる、いつも元気なあの人にはネガティブな要素は見あたりにくく、それを無理矢理にでも当てはめようとすると、たちまちその人の「その人らしさ」が失われてしまう気がするのだ。

ネアカな人は悩まない?

ネアカの人は根っからのポジティブという意味合いで捉えると、ネアカな人は悩みなんかないんじゃないか?と思えてくる。悩みがあったとしてもすぐに立ち直る強さみたいなものがあるのか、そんな人間が存在するのか?ポジティブではなく「どの物事においても無頓着なバカ」なのか。

ネアカは存在するか?

見たことがないものを「無い」というのは乱暴だ。アタシの中には居てほしいという希望も少しある。

言葉の意味

ネアカについて色々思考を巡らせると、いよいよネアカ=ポジティブという言葉の意味が崩れてくる。どう頭をひねったところで、ネクラとネアカという言葉の意味はどうも腑に落ちない部分が多すぎる。

そして「言葉の意味」はその時代ごとに意味合いが変わることがある。ここで「ネアカ」と「ネクラ」という言葉を違う視点から捉えてみたい。

哲学者である永井均はネアカとネクラについて”子どものための哲学対話”でこのように述べている。

根が明るいっていうのはね、なぜだか、根本的に、自分自身で満ちたりているってことなんだ。
なんにも意味のあることをしていなくても、ほかのだれにも認めてもらわなくても、ただ存在しているだけで満ちたりているってことなんだよ。

根が暗いっていうのはその逆でね、なにか意味のあることをしたり、ほかのだれかに認めてもらわなくては、満たされない人のことなんだ。

出典元:子どものための哲学対話 著:永井均

これを読むと、ネクラ=ネガティブ、ネアカ=ポジティブという言葉では片付けられないニュアンスを含んでいる。

結論:ネクラ、ネアカとは?

これらのことから、アタシはネクラ、ネアカをこう定義しようと思う。

ネクラ:その物事の「楽しさ」を知るために努力が必要な人

ネアカ:その物事をどの立脚点においても「楽しさ」を見出せる人

マズローの欲求5段階説から考察する

マズローの5段階欲求の「自己実現」の部分がこれにあたる。

マズローの5段階欲求とは

  1. 生理的欲求(ex. 生きるために必要なもの:食べたい、寝たい)
  2. 安全の欲求(ex. 安全な場所にいたい、危険に晒されたくない)
  3. 所属と愛の欲求(ex. わかり合いたい、愛されたい)
  4. 承認欲求(ex. 認められたい、すごい人と思われたい)
  5. 自己実現の欲求(ex. こうなりたい、自分の能力を使って何かを創造したい

という5つの階層で構成されており、1〜5の番号順に欲求を満たしていく、ということを唱えたものだ。ここで重要になるのは、下の階層を満たしていないと上の階層の欲求を満たそうとすることはない、ということだ。

例えば、「生理的欲求」が満たされていない人は「安全の欲求」は満たすことができない。言い換えれば、お腹が減っていれば、愛されたいなんて欲求を満たそうとしない。

ネアカはひとりで楽しめる人

ネアカの人の場合「承認欲求」をぴょん、と飛び越えて「自己実現の欲求」を求める。ネアカの人は「誰かに認められたい」という欲求が無いか、極端に小さい人のことをいうのだ。

これをしてすごいと思われたい、尊敬される人になりたいという欲求がなく、自分がこうなるためにこれをやろうと物事の始めから終わりまでひとりで楽しめる人をいうのだ。

それじゃあネクラとは?

ネクラはマズローが唱えた5段階欲求の「承認の欲求」をもっているひとをいう。

本来人間はこのようなもの、とマズローは唱えたがアタシ自身の考えとしてはネクラなひともネアカになれると考えている。誰かに認められたい、尊敬されたいという欲求が本能的なものであれ、人間とはその本能の本質を考える力を持っている。

ネクラとネアカ、あなたはどっち?

あなたはどっちだろう。どちらが良いとか悪いの話ではない。

承認欲求があるからこそ「何かを成し遂げようとするモチベーション」を維持することができる人もいる。それ抜きに何事も楽しめる人が羨ましいなと思う自分もいる。

なぜツイッターのフォロワーを増やしたいのか、なぜ人になめられたくないのか。自分自身の「承認欲求」について考えてみてはどうだろう。