完璧主義とは、1から100まで自分が絶対的に納得した形を追い求めることだと、私は思っている。
その完璧主義を捨てることで、現在の悩みを捨てられるかもしれないという話をしたい。
私は正真正銘の完璧主義者だ。
自分自身が納得していないものを、完成として世に出すことはない。
「適当」ができないのだ。
完璧主義の弊害
完璧主義の弊害は、日常生活の至る所で起こる。
例えば課題。
自分自身の中で課題を100点にできなければ、それを提出することができないくらいには私は完璧主義者だ。
課題に手をつける⇨修正⇨修正の修正⇨修正の修正を修正⇨修正の修正の修正を……。
と永遠とも言える修正を繰り返し、結局「未提出」となる。
趣味の音楽にも同じことが起こっている。
作曲しようと、机に向かい曲を作る。
そして修正を繰り返している間に、その曲からは熱が冷め完成しないという現象が10曲以上にも及ぶ。
それは人生にも影響を与える。
病気になってはいけないと不安になるのも、仕事が失敗したらどうしようと不安になるのも、人間関係に悩むのもぜーんぶ、完璧主義の弊害だと私は思っている。
それがあることで「完璧な人生」ではなくなってしまうから。
完璧な人生を追い求めて
完璧な人生なんて存在しない。
完璧な人生とはどんな人生か。
幼少の頃から秀才で、いい大学を出て、いい職場に就職して、お金持ちで、いい家庭を築いて……。
こんな人生を送りたいのか?と自問自答する。
いや違う、断じて違う。
自分が思い描く素晴らしい人生は、自分だけが知っている。
完璧な人生の先にあるのは、なんだろう。
それは、「挑戦してこなかった人生」と同義じゃないだろうか。
完璧を追い求めるが故に、失敗が怖くて挑戦できない。
失敗は経験という価値なのだ。
これから先の人生を素晴らしいものにするための失敗なのだ。
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完璧主義をやめてみる
完璧主義をやめるとスッと肩の荷が下りた。
昔のことを後悔して、夜眠れなくなることも、病気が怖いと毎日震えている日々も少なくなった。
これだったのか。
私を苦しめていた元凶は「完璧主義」だったのだ。
完璧は無理だから、ベストを尽くそう。と思うようになった。
期日を決めてしまえば、どれだけ自分の中で納得していなくてもそれを出してしまおう。
それが今のあなたのベストなのだから。
完璧主義をやめるには期日化してしまう、なにもかも。
そうすることで、いままで取り組めていなかったものも自然と完成できるようになってくる。
完璧主義をぶっとばせ。