友達って必要?本当の友情とは【ソリタリー だからこその強み】

インターネットが普及して、自宅にいながらも「友達」とSNSなどを通してコミュニケーションをとることができるようになりましたね。

世間は「ひとりの時間が好き」なアタシたちを放っておいてはくれませんね。

「友達が少ないと心が貧しくなる」「コミュニケーション能力が衰退する」などなど好き勝手に言いたい放題。

そもそも世間様がいう「友達」の定義ってなんだろう。

互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。

出典:コトバンク

「友達は多いほうがいい」と言う人たちって、心を許しあえる友達が何人いるんだろうね。

友達って必要?本当の友情とは

本当の友情ってなんだろ。

アタシが思う「友情」とは、

根底に、生きていくために、友達は必ずしも必要ではない、とお互いが自覚している近しい関係性のことを言うんじゃないのかな。

説明するね。

「友達は必ずしも必要ではない」について

アタシたちって心を許しあえる「相手」がいなくても生きていけるのね。

たとえば家族を想像してみて。

家族って「心を許しあえる」関係性なのかな。自分の悩みや不安を、何でもかんでも吐き出せる関係かな、家族って。

アタシたちは家族に対しても「建前」を使い分けてる。

幼少の頃からの付き合いの長い「家族」ですら本当の意味で心を許しあえているのかな。

 

友達はなんのために必要?

「いざとなった時に助け合える」ってとても都合のいい言葉だよね。

「助け合える」っていう言葉の中に、「助けてくれるはず」というニュアンスが含まれてる。

損得勘定で付き合う友達が、心を許しあえる人と呼べるのかな。

 

ひとりでも生きていける

人間ってさ、究極的にひとりでも生きていけるのね。

心を許しあえる友達や家族なんてものがなくても生きていける。そうして今まで生きてきたんだもの。

心を癒すのはひとりでもできる。

それは旅に出ることかもしれないし、美術館に行くことかもしれない。そういう心を動かすものは「対人」でなくても手に入るんだよね。

困った時の駆け込み寺は、自分の中に作っておくことが大切なんじゃないかな。

 

お互いが「友達は必要ない」と自覚している関係って?

言い換えると「相手に何も求めない」ということになるよね。

この「相手に何も求めない」という関係性が「本当の友情」の土台となるんじゃないかな。

世間は損得勘定が見え隠れする近しい関係を「友達」って呼んでるんだけどね。

 

ソリタリー という人たちの悲しみ

友達がいないというだけで、心配されたり、人として劣っていると見られたり散々。

それが「ソリタリー 」という言葉が表に出てきたおかげで、友達がいないアタシたちも「友達がいないという個性」として確立されつつあるんじゃないかな。

ソリタリー に関する書籍や論文など、まだまだ情報が少ないから詳しいことは語れないんだけど、簡単にソリタリー を説明すると、

【友達という関係の必要性を感じない】

というニュアンスが強いのかな。

 

ソリタリー の強み

でもソリタリー でなくては手に入らないものがものがあるのね。

それが「本当の友情」

なぜって思うかもしれないけれど、ソリタリー は損得を考えて友達を作らない。だってそもそも友達の必要性を感じないんだもの。

だからソリタリー 同士であれば「本当の友情」が芽生えることがあるのね。

相手に何も求めず、何も求められない。ただ隣にいてくれるだけでいいって思える友達はあなたにいるかな。

本当の友情とは

Wikipediaでは「友情」をこう定義してる。

友情(ゆうじょう)は、共感や信頼の情を抱き合って互いを肯定し合う人間関係、もしくはそういった感情のこと。友達同士の間に生まれる情愛。しかし、それはすべての友達にあるものではなく、自己犠牲ができるほどの友達関係の中に存在する。

出典:Wikipedia

 

自己犠牲は偽善なのか

自己犠牲とは「あいつのためならこの命なぞ惜しくない!」ということね。

命をかける場面はあまりないかもしれないけど、「あいつのためなら、しかたないか」と何の見返りもなくできる行為のこと。

そして、偽善は見返りを求めて行う行為というとわかりやすいかな。

 

共感と信頼

ソリタリー 同士であれば誰でも本当の友情が築けるってわけではないよ。

それには「共感と信頼」が必要となるのね。

今まで生きてきた環境や自分の好きなこと、嫌いなことなどの自分を形成しているバックボーンが、誰かとリンクすることがあるよね。

それが共感。

 

そしてその誰かとの関わりの中で、共通の言語が形成される。

今、相手が言った言葉の意味はこういうことだな、と腑に落ちる瞬間がある。

そういう関わりを続ける中で「この関係は間違ったものじゃない」と相手を信用できることがあるのね。

それが信頼。

こういう過程を経て友情は作られていくと思うのね。

 

さいごに

20数年生きてきたアタシにはひとりだけ友達と呼べるひとがいる。

その友達とは学生時代に出会ったのだけど、アタシは学校で友達なんて作るつもりがなかった。そしてその友達も同じく友達の必要性を感じていなかったと後から聞いてわかったのだけど。

何時間も延々と話していても飽きなかったし、いつも世界が広がる新しい感覚があった。

今は遠く離れてしまったけれど、たまに思い出して「幸せでいてくれな」と思ったりする。